God Hands-神の手とは?
もう何年も前になります。マッサージのスクールに通っている友人の練習台(笑)として、人生で二度目のマッサージを受けてきたことがありました。
ちなみに、一度目はインドでした。
意味も分からないまま全裸にされ、しかも、ちょっとくらい恥ずかしい場所を隠してくれればいいものを、そのまま、当時20代前半だった、乙女だった私は、全裸のまま、よく分からないオイルをぬりたくられて、 ゴシゴシ、ゴリゴリと音が鳴るような「マッサージ」を受けました。
恥ずかしいのと、痛いのと、くすぐったいのと、もう、ホントよく分からない不快感 で、「OK!! OK!! That's enough!!!」と叫んでいたと思います。
(図的にも相当恥ずかしい)
そんなほろ苦い経験があったものだから
「マッサージ」=「痛い上に気持ち悪い」
という図式が私には完全にできあがっていて、その友人からのお誘いにも、はじめは「う~~ん」と躊躇してしまったのが正直なところでした。
しかし
彼女のマッサージは、そんな私の「ネガティブ思考」さえ溶かしてしまうほど素晴らしい施術でした。
部屋の温度、湿度、光の明暗、香り、そして聞こえてくる音にもさりげない心遣いがあって、何よりも彼女の手が、なんていえばいいんでしょう、カイロみたいに すごくあったかくて、私の皮膚がなんの敵対心も拒絶反応もせずに、彼女の手をまるで私自身の皮膚として受け入れるような感覚がとても気持ちよくて、「あぁ、これぞ神の手だ…。」なんてつぶやきながら半分眠りこけていたと思います。
そういえば
フィジーで暮らしていたときも、God Hands-「神の手」の噂が、まるで白い煙のように時々姿を現していました。
職場でのお茶の時間に、日曜の教会からの帰り道に、バスに乗っているときたまたま隣合せしたおばちゃんの口からも。
「誤って熱湯を足にこぼしてしまって、大火傷をしてしまったんだけど、God Handsに手当てをしてもらったら、すっかり良くなったのよ」
にこにこしながら話すフィジアン(=フィジー人)の友人に、日本人としての教育を受けてしまっている私は思わず、
「ラスラス~~~!!(うそだ、うそだ~~)」
と からかうと、
その友人だけでなく、近くにいたフィジアンたちもわらわらと周りに集まってきて、しかも、いつもはヘラヘラ笑いながら踊ってばかりいる彼らが、真顔で、
「うそなんかじゃないよ、俺は、この怪我をGod Handsに治してもらったんだぞ」
と、治りかけた傷の跡を見せてくれたり、
「私の赤ちゃんは高熱をだしたときにGod Handsに熱を下げてもらったのよ」
などなど、リアル実体験でもって私にせまってくる始末でした。
そんなリアル証拠でせまられても、どうして、God Handsがフィジアンの病気や怪我を治していくのか、私にはやっぱり分かりません。
けれど
そんな私でも間違いなく言えそうなのは、
- 「自分の手」だと多分効果があんまりないってことと、
- 他者の手でも、病んでいる者に対する、深い「愛」(←セックスの対象の意味ではなくて)を持つ「手」に何かがあるかもしれないってことでしょうか。
もしかすると、「手」を媒介とする「思い」-「生命のエネルギー」が、他者の病や傷を癒していくのかもしれません。
人は他者にさわり、さわられていることを必要としている。
動物実験でも、人間に対する研究でも、身体的な接触を絶たれた個体は不安になり、適応力が低下し、 病気になりやすいという結果がでている。
さまざまな文化にわたる研究でも、性的な抑圧や人との身体的接触が絶たれた社会が暴力を生みやすいということが分かっている。
(ナチュラルメディスン、アンドルー・ワイル著から抜粋)
God Hands あなたはどう思いますか?
- 作者: アンドルーワイル,Andrew Weil,上野圭一
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